ファイアンス焼きの意外な絵付師とは

久しぶりにスティグ・リンドベリによるファイアンス焼きによる飾り皿が入荷しました。この写真の下の花柄プレートです。

ファイアンス焼きは13世紀からある焼き物で、白色の錫釉薬の上に彩色する事で、釉薬が顔料を吸収し鮮やかな発色を保持します。ところが安価な陶磁器に押され20世紀には衰退した手法となっていました。それを1930年代に復活させようとしたのが、グスタフスベリのアートディレクターであったヴィルヘルム・コーゲと弟子のスティグ・リンドベリ。

1940年代に復活に成功し、展覧会は大きな反響を得ました。そしてファイアンス焼き工房が作られ、そこでは優れた絵付師たちがリンドベリの作ったデザイン画に基づいて作品を作っていました。

絵付師の中には戦争の迫害から逃れ、中立国であるスウェーデンに亡命してきたドイツ人やイタリア人もいました。例えば、2014年にご紹介したUrsula Printzは母親がユダヤ人だったために亡命してきた一人です。

当時のスタジオでは絵付師たちは自分の得意なパターンを自由に選んで絵付けしていました。このデコレーションは色の濃淡を生かし、生き生きとした草花を描いています。

絵付師たちは自分の作品の裏には自分のサインを入れることを許されていました。今回入荷した花柄のファイアンス焼きの裏のサインは丸にSの字。

このサインの持ち主はドイツから来たSigrid Richter。名前を見てもピンと来ないかも知れませんが、ロールストランドのエデンの作者と聞けば、ほとんどの方が「ああ」と思うのではないでしょうか 。廃番になっていたのが、スウェーデン国内人気アンケートで復活していますね(当時と違ってプリントですが)。

Sigrid Richterは短期間だけリンドベリの工房で絵付師として働き、のちにロールストランドに転職しエデンをデザインしました。その後ドイツに戻り自身の工房を開いています。

後にもっと名を知られるようになった絵付師もいました。この写真のPrunella他、数多くの作品を作ったKarin Björquistです。特に彼女の作品として毎年世界中の人が目にするのは、ノーベル授賞式の晩餐会で使われるノーベルシリーズでしょう。

90代となったKarin Björquistは今でもご存命です。彼女の作品の一部は下記のリンク先から見ることができます。

もちろんベテランの絵付師もいましたが、学校を出たての若者もスタジオで腕を磨いていたようです。インターナショナルで伸び伸びとした自由な雰囲気も若手が力をつける理由だったのかもしれません。

後にファイアンス焼きの人気が出て、アメリカからの大量注文を受けるようになってから、指定されたパターンを指定された色で描かなくてはいけなくなり、面白くないと絵付師たちが一人、二人とスタジオを去っていったのは皮肉な話です。

実はSigrid Richterが絵付師だったのは資料で知っていたので、いつか手に入ったらいいなと思っていたので、ちょっと嬉しかったです。Karin Björquistが絵付けしたファイアンス焼きも手にしてみたいのですが、無理かなあ。写真のファイアンス焼きは9月30日に新着としてアップしますね。

作品の無名性を重要視したアラビアのカイ・フランクは作品に名前を入れることを良しとしなかったのですが、スティグ・リンドベリは名前を入れることで作品に対する責任が生まれると考えていました。

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