パン屋さんの木製カッティングボード

フィンランドから木製のカッティングボードが入荷しました。この絵、見たことがある人もいるのではないでしょうか?そう、今まで数回入荷したアラビアの飾り皿と同じです。

当店の商品説明を引用しますね。

フィンランドで1905年創業のベーカリーメーカー「Osuusliike Elanto」社の創業75周年を記念して1980年に作られたプレートです。デザインはアラビアのRaija Uosikkinen(ライヤ・ウオシッキネン)で、表側にサインが入っています。

https://www.fuku-ya.jp/SHOP/AR-OE0-74A.html

入荷したカッティングボードの裏側を見ると、「Osuusliike Elanto 75 vuotta 1980」とあるので飾り皿と同年に作られたのが分かります。その下に書かれている文字は「Mauno Koivisto hallintoneuvoston puheenjohtaja」。日本語にすると「マウノ・コイヴィスト 管理委員会会長」。サインもあります。

ところで、Osuusliike Elanto(エラント)について改めて調べると、単なるパン屋ではなく、協同組合だったようです。1905年にベーカリーとしてスタートし、1907年に製パン業の協同組合を作ります。1910年代にはほぼフィンランド全土にパンと乳製品のお店を開店。やがて酪農事業を開始し、コーヒーの焙煎を始め、ビールも作りました。第一次世界大戦を契機に土地ビジネスも手掛け、ヴァンター空港の近くには広大なマナーハウス(荘園)を購入。

1920年代には清涼飲料水とソーセージの生産をし、1930年代には大きな商業ビル建築。第二次世界大戦後の1950年代には学生向きのセルフサービスレストランを展開。1960年代にはかなり大規模な事業を展開していたようです。

その60年代、1966年にエラントの会長に就任したのが裏側の名前にあるマウノ・コイヴィスト氏。とはいえ、コイヴィスト氏は1966年に財相、1968年にフィンランド銀行幹部議長に就任したので、あまりエラントには関わっていなかったようですが。ともあれ、彼は1982年に第9代フィンランド大統領に選ばれるまでエラントの会長職を務めていました。

さて、カッティングボードに話を戻すと、裏側に会長の名前とサインがあることろを見ると、販売されていたものではないでしょう。恐らく、従業員に記念品として配られたものではないかと思います。エラントの原点であるパン屋、創業時の1900年代初めの様子がアラビアのデザイナー、ライヤ・ウオシッキネンによって描かれています。飾りとしても素敵ですよ。

こちらのカッティングボードは明日の8月27日に新着でアップ予定です。どうぞ、お楽しみに!

ところで、エラントですが、都市集中化で地方の人口減少や1990年代の大不況で経営が難しくなり、2004年に他社に吸収合併されて現在は存在していません。

エラントが購入したマナーハウス(荘園)Ravintola Backasは現在でも建物は文化遺産として保護され、一部はレストランになっています。下記にリンクを貼りますのでご興味があればご覧ください。
https://ravintolabackas.fi/

実はRavintola Backasではありませんが、フィンランドのヴァンター空港近くのマナーハウスに宿泊したことがあります。その時のことを書いていますので、合わせてご覧ください。

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