エステリ・トムラ生誕100年

今年、2020年はアラビアのデコレーター、エステリトムラの生誕100周年です。当店にあるエステリの作品を集めてみました。ちなみに中央にある青の100周年記念カップ&ソーサーは私物。

エステリ・トムラは 50年代から80年代にかけてアラビアで活躍したデコレートデザイナーの一人。1920年10月31日生まれ。美術学校卒業後、1947年から1984年までアラビアに所属していました。亡くなったのは1998年4月18日。77歳でした。

フィンランド独立100周年の2017年にエステリ・トムラのデコレーションが二つアラビアで復刻されたことで、ビンテージファン以外にも名前を知られることになりました。選ばれたのはPastoraali(パストラーリ)と彼女の名前を付けたEsteri(エステリ/オリジナルはアラビア100周年デザイン)です。下の写真に写っているのはオリジナルのパストラーリと100周年。半世紀たっても古さを感じないデザインです。

この仕事を始めてしばらくたった頃だったので、10年ほど前でしょうか。エステリ・トムラについて調べていたら珍しい全身が写った写真が出てきました。男性と握手しているトムラの身長は、その男性の胸にも届かないくらい。

メディアで公開されているエステリの写真は、その身体的特徴が分からないものを慎重に選んでいるようで、それを見るまでエステリが生まれついての低身長症だと全く知りませんでした。

エステリの人気作の一つにクロッカス(Krokus)があります。初めて手にした時から、クロッカスのプレートのデコレーションはまるで野原に立って下を見ているような絵であることが面白いと思っていました。エステリの身長の事を知ったとき、この構図を生み出したのは、視点の低さにあったのかと気が付きました。だからこそ足元の小さな草花がこのように描けるのでしょう。

植物画が得意で、晩年はボタニカルアートのような作品を作り続けたエステリ。その原点は父親にあるようです。エステリの父親エミル・トムラはヘルシンキ大学で農学の教授でした。彼は夏ごとに家族を自然豊かな場所に連れて行きました。活発に動くことが難しかったエステリにとっては、森や野原で過ごす時間は小さくささやかな草花の美しさの発見につながりました。

1939年エステリは美術学校の陶芸コースに進学しましたが、腕が短く力が弱いため作品作りは難しく、デコレーションの道を選びます。第二次世界大戦のさなかでの学生時代は、砲弾の音に怯えながらの日々だったとか。1947年に卒業してすぐにアラビアに入社。 (書かれているものがなかったので分かりませんが、卒業に時間がかかったのは戦争が理由なのでしょうか?)

当時はオルガ・オソル、後にカイ・フランクの指導するアート部門に配属され。そこで彼女の描き出す花の装飾は女性たちの心をつかみました。1950年代に生み出したプリントの黒のラインに手彩色で色を加える作品類は彼女の特徴になっています。

ところが70年代に差し掛かるとシンプルな装飾が流行り始め、デコレーションは好まれなくなりました。エステリは数多くのスケッチを残していますが、製品化されなかったものも多かったとか。

エステリはその逆境の中でも装飾の大切さを信じ、多くの愛らしいデザインを生み続けました。やがて世代が交代するとデコレーション人気は復活。エステリはアラビア在籍中に150ほどのデコレートを手がけ、愛され続けたデコレーターとなりました。

エステリ・トムラの特集ページを作りました。下記バナーをクリックしてください。生涯をデコレーションにかけた彼女の作品がご覧になれます。

ミタ

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