過去に入荷したアイテムサイト『Memory of the Past』を時間を見つけてはコツコツと更新しています。多分、現時点で500点くらいアップしているのですが、全部で5000~6000アイテムあるので、まだ10分の1程度ですね。アップするアイテムは、飽きないようにランダムに選んでいますが、それでも古いものから優先的にアップをしているので、ああ、こんなのあったなあというアイテムも多く、そのうちの一つにこの手彩色のピッチャーがありました。
既にサイトから削除していますが、アップしたのは2016年なので、一番古いアイテムは15年前にアップしたことを思えば、そんなに古いという訳ではありません。
この製品はアラビアの作ったファイアンス焼きです。ファイアンス焼きとは、釉薬に錫釉を使った陶磁器です。隣国スウェーデンのグスタフスベリでヴィルヘルム・コーゲとスティグ・リンドベリが手掛けたファイアンス焼きは良く知られていますね。ファイアンス焼きについて、2013年に詳しく書いたので下記リンク先からご覧ください。
リンク先にあるように、グスタフスベリのファイアンス焼きは1920年代から研究が始まり、1940年代に実用化されました。一方アラビアのファイアンス焼きは当時のアラビアのアートディレクターであったKurt Ekholm(クルト・エクホルム)によって1938年にスタートしました。他に、Michael Schilkin(ミハエル・シルキン)、Toini Muona(トイニ・ムオナ)、Kaj Franck(カイ・フランク)がデザインに携わっています。
フィンランドで採れる赤い土(ara-massasta)を使ったので、Ara-keramiikka/アラ陶器 部門と名付けられました(多分そう。フィンランド語が良く分からなかったので間違っているかも)。手彩色で施された柄は焼成中に錫釉に溶け込み、独特のふんわりとした絵に焼きあがります。いくつかの美しい製品が生み出されましたが、1960年代終わりごろまで続いたグスタフスベリと違い、アラビアのアラ陶器部門は1950年に閉鎖してしまいました。
さて、この花柄のプレート。これがアラビアのファイアンス焼きの製品です。
デザインそのものは1940年代なのですが、不思議なことにバックスタンプを見ると1960年代のものが付けられています。この時代にはアラ陶器部門は閉鎖していたばかりか、クルト・エクホルムもアラビアを去っています。(エクホルムのアラビア在籍は1931年から1948年まで。)
なんだか不思議にも思えるのですが、当時のアラビアは部門が無くなったから「はい、終わり!」ではなく、材料があれば継続して作ったりしていたのかも知れません。この仕事をしていると、「あれ、これはこの時代にはないよね?」というものが出てきます。そこらへんは結構ファジーだったんじゃないかなあと想像しています。エクホルムの次にアートディレクターになったのは、ファイアンス焼きに関わっていたカイ・フランクだしね。
さてさて、こちらのプレートは下記リンク先からお求めいただけます。どうぞご覧ください。
Arabia 手彩色デザートプレート (三色の花)