邂逅ムーミン(前編)

日本で北欧を代表するキャラクターと言えば、ムーミンでしょう。特に今年はムーミンの作者トーベ・ヤンソンの生誕100周年と、ムーミン出版70周年が重なり、本国フィンランドはもちろん、日本でも関連の展覧会やイベントが開催され多くのメディアに取り上げられたので、注目も高かったようです。
北欧に関わる仕事をしていますが、実は私はムーミンにはあまり詳しくはありません。トーベの描く原作の絵は好きで、関心が無い訳ではないのですが、これまで物語を読む機会もなく、とはいえ知らないもの恥ずかしいので、シリーズ第一作目の「小さなトロールと大きな洪水」を図書館で借りて読んだ程度です。
そんな私の家に今、ムーミンの絵が飾られています。この絵が我が家に届くまでは、狐につままれたようなお話しがあります。
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額に入れられたこのムーミンの絵は、1950年代に絵付用に作られた焼き付け用の転写シートです。メーカーはフィンランドの西部のヴァーサにあった「Vasa Tvalfabrik Ab」。ムーミンキャラクター製品の販売を予定し、ヘルシンキの印刷会社「Kromipaino」がこのシートを作ったものの、製品を製造する前に工場が閉鎖してしまいます。
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それから60年以上の時を経て、誰も知らなかった未使用のシールが発見されました。
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そのシートを購入しないか、と所有者のエーロさんから連絡があったのが、買い付けのため北欧滞在中の今年の4月のことでした。ムーミンに詳しくない私でも、話の内容からその希少性は理解できました。買い取り価格を提示してくれないか、と問うエーロさんに「私には正確な価値が分からないが、貴重な物であることは間違いないと思います。こんな貴重な物は海外に出さずに、フィンランド国内にとどめるべきではありませんか?」と返信しました。
実はその時に頭に浮かんでいたのは、明治時代に価値が分からずに海外に流出して行った日本の浮世絵でした。どんなものでも海外に散逸してから後悔しても取り返すのは難しい。
その後エーロさんからいくつかの美術館とコンタクトを取っているとのメールがあり、その上で「買わないか」と聞かれたので、再度「美術館が興味を持っているのは良かった。フィンランド国内で展示されるのは喜ばしいので、お話しが実現するように」と気持ちを伝えた上で、お断りの返信をしました。
そしてしばらくしてエーロさんから、ムーミン谷博物館とスオメンリンナおもちゃ博物館、更にトーヴェ・ヤンソンの姪であるソフィア・ヤンソン氏がコレクションに加えたとの連絡があり、まだ残っているから仕入れないかと再三の問い合せ。
「そういったところが所有すると伺い本当に嬉しい。私が買い取るよりもフィンランド国内で持っていて欲しい」と今までと同じようにお断りの返信をすると「それならプレゼントするので送り先住所を教えくれないか」と驚きの申し出がありました。
あまりにも思いがけない話に目を疑い、英語の読解間違いではないかと何度もメールを読み返しましたが、確かにプレゼントすると書いてあります。それが最初のメールから4ヶ月以上経った夏のこと。
真意がくみ取れないまま、日本に送ってもらわなくても、9月に渡フィンするので直接受け取れると伝えると「それは良かった。自分はヘルシンキから遠い街に住んでいるが、息子がアアルト大学の寮住まいなので彼に託すよ」と息子さんの連絡先を書いた返事があり、ああ、読み間違いではなく、本当に頂けるのだとやっと実感しました。
アアルト大学とは、2010年にヘルシンキ工科大学(1849年)、ヘルシンキ経済大学(1904年)、ヘルシンキ芸術デザイン大学(1871年)が合併してできた総合大学です。
アアルト大学前身のヘルシンキ芸術デザイン大学に留学していた、東北工業大学准教授の梅田弘樹氏にお会いした時、フィンランドのデザイナーは、デザインをするだけでなく、量産、販売、流通に至るまで通して考えるので、この三大学が合併したことはフィンランドデザインの在り方を象徴しているとの話を伺いました。
※大学の名前となったフィンランドのデザイナー、アアルトは自分の作品を製造するメーカーArtek(アルテック)を創業し、店舗で自社製品を販売した。
ちなみに、梅田氏は吉祥寺のカフェ「Moi」の食器のデザイナー。実は家人の中高校の同窓生というご縁。
閑話休題
そうして気持ち良く晴れた土曜日の早朝、広大なアアルト大学のキャンパスにムーミンの絵を受け取りに行ったのでした。
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長くなったので、続く。
ミタ

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