友人たちを招いて色々な料理を作ると半端な材料が余ってしまいます。そんな時は、フルーツ系ならケーキに焼きこむ、肉や野菜系なら全部炒める。それから、スープにするのが私の消費法。1回目は、半端野菜に残ったビーツを入れて、なんちゃってボルシチ。そろそろ洋風は飽きたので、2回目は余った甘海老とキノコと人参で、なんちゃってトムヤムクン。
トムヤムクンが壺のような器に入っている写真を見たことを思い出し、あえてスーププレートではなく、大きなカップに入れました。
カップはアラビアのAprilli(アプリーッリ)。600ccも入る、大変に大きなサイズいっぱいに手彩色で美しい黄緑色の花が描かれています。実際、何に使うものなのか、はっきりとは分かりませんが、アラビアの芸術部門で作られた、コレクションアイテム的な存在です。
製造期間は1971年から73年で、このAprilli以外にも、日本の青海波っぽいVarpu、青い花柄のHelluntaiと、合わせて3種類が作られています。
熟練の絵付師が、筆で描き出す大きな花は、まるで1枚の絵画の様で存在感があり、プリントでは得られない輝きがあります。まさにコレクションにふさわしいアイテムです。
デザイナーのエステリ・トムラ(Esteri Tomula)は1920年生まれで、1998年に亡くなっています。美術学校時代は戦争のさなかで、砲弾の音を聞きながらの学校生活だったそう。アラビアの所属期間は1947年から84年で装飾を担当していました。長きにわたる在籍中に150を超える装飾を手掛けています。
植物画を好み、特に50年代から60年代に作った、細いラインの輪郭線と、手彩色による色面を組み合わせて描いた花のデザインは、彼女の特徴的な作風です。
70年代には時代に応じた抽象的な植物のデザインもしていましたが、そもそも写実的な描写を好んだのでしょう、70年代の終わりから80年代はまるで植物図鑑のようなボタニカルアートの連作「Botanica」を手掛けています。Botanicaは彼女のアラビア時代の最晩年の作品で、関連作品も含めると80近くあるその作品群を見ると、いかに彼女が情熱を込めて取り組んだのかが伺えます。
トムラは先天性の障害で、大変に小柄でした。けれども、体の不自由さを嘆いたり、挫けるような様子は無く、常に明るく友人も多かったと言います。友人や同僚たちの記憶の中の彼女はいつも幸せそうな姿をしているとか。
周りの人たちよりもずっと目線の低かった彼女にとって、草花はとても近くに見える存在だったのでしょう。もしかしたら子どもの時は、他の子たちと活発に遊べず、いつも野に咲く花を見ていたのかも知れません。単なる観察だけでなく、深い愛情も感じられるトムラの花の作品たちは、そんな暮らしから生まれたものような気がします。
ミタ