手から手へ

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こんにちは。スウェーデンでこんなコーヒーカップを買い付けてきました。
まるで古い広告でモデルさんが手にポーズを取っていそうなレトロな雰囲気です。装飾は手彩色で行われているので、シンプルなラインながら筆の作り出す濃淡が味わいを加えています。黒の線は顔料の膨らみも感じるほどしっかりと付けられています。僅かにゆがんでいるところも手の温かさを感じますね。
メーカーはUpsale-EkebyのGefle窯。デコレートデザインは同社で440もの装飾を手がけたHelmer Ringstromです。Rigstromは大変な長生きで、つい昨年(2010年)に94歳で亡くなっています。
長生きといえば、このカップも長生き。製造は1957年から1959年といいますから半世紀以上も前の製品です。

単純なのにどこか洒落た雰囲気に惹かれたのですが、手にして感動したのは持ち手の裏のペイントが剥げているところです。

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これは、この写真の様にちょうどカップを持ったときに中指があたる部分です(前の持ち主は右利きだよ、ワトソン君)。つまり、使っているうちに指にこすれて色が落ちてしまったのですね。

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いったい、何百回、いや何千回使うとここまでペイントが薄くなるのでしょうか。

昔、ホームステイしていたイギリスの家庭で、お茶と一緒に出されたスプーンの右側が斜めに磨り減っているのを見たときに、いったい何十年使うと金属のスプーンが変形するのかと驚いたのを思い出しました。

愛用とはまさしくこの事かも知れません。そんなに頻繁に使っていたにも関わらず、経年の変化やペイントの剥がれはありますが、ヒビや欠けはなく、大切に扱っていたのが分かります。

青と赤の2個ということはご夫婦で使っていたのでしょうか。このカップにそっくりなストライプ柄の、ふんわり膨らんだ50年代デザインのスカートをはいて、こんな風に綺麗な色のカーディガンを羽織った、若い奥さんがご主人と使おうと買い求めた情景が目に浮かびませんか?

ところで、新品と違ってビンテージの商品が市場に出る、ということは、誰かが手放した、ということです。

手放す理由は様々でしょう。飽きた、もう使わないというのはもちろん、年をとって身の回りを整理したいケースも多いようです。アンティークショップのオーナーと雑談をしていると「家のもの丸ごと査定に来て欲しい」と依頼もあると教えてくれました。

40年、50年前のものとなると、持ち主が亡くなった場合も珍しくはないでしょう。どんな人がどんな場面で使っていたのか。手元のカップやプレートの小さな傷や使用跡を見て、物が辿った歴史を想像するのはビンテージならではの楽しみ方なのです。

ミタ

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手から手へ」への2件のフィードバック

  1. わたしもビンテージ品ということは、どんな経緯をたどって私のところに来たのだろうと考えたりします。やはりそういうケースもあるのですね。今の効率主義の生産方法では作れないものもあると思いますし、まだまだ使える良い物、思い出の詰まったものを引き継いでいくのもビンテージの魅力ですよね。

  2. >>ndymomさま
    それに、当時の製法による不均衡なところも魅力だと思っています。それと、いまは人件費の問題か、アラビアでも中国やトルコで生産しているものもありますが、この時代は国内産という所に価値を見出すことも出来るかもしれませんね。

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