日曜日に少し足をのばして、2年前に亡くなったディーラーさんのお店に行ってみました。彼が亡くなったあと、店の商品ごとお店を買い取った人がいると聞いていたからです。彼、イェンスとはフクヤをオープンする2006年より前からの長い付き合いでした。
ヘビースモーカーでタバコを常にくわえていて、同居しているガールフレンドに注意されると「バカなデンマーク人だからタバコをやめられないんだ」とこちらに目配せします。それまで彼がデンマーク人とは知りませんでした。スウェーデン人のガールフレンドにやり込められたときのお決まりのセリフなんでしょう。
話好きで、いつも茶化したような口調で、ビンテージについて沢山聞かせてくれました。「このガラスメーカーはイタリア人の兄弟が始めたんだ。この話面白いだろ?」「このデザインはフタが簡単に落ちて割れるとメディアが批判したらデザイナーは、それがなんだ?こっちの方がカッコいいだろ?って反論したんだってさ」「この絵は○○の物語をモチーフにしていて沐浴している女を男たちが覗いている、お気に入りさ」「これが高いって?気に入っているから売る気がないのさ。でもこの価格で売れたらラッキーだろ?」
何が面白いのかさっぱり分からない話もあったし、英語を集中して聞き取って返事をするのは疲れるしで、いつも適当なところで「はいはい」といなしていました。
私が奥の商品棚からロールストランドの花瓶を取り出すと「見つけたか!ヨウコが好きそうなものが入ったから、見つけづらいところにわざと入れていたんだ」といかにも愉快そうに言われた日には、なんだか面倒くさいやら、どう返していいものやら、リアクションに困ったものです。
ある時は「ガールフレンドが彼氏を作って出て行ってしまった」とすっかり落胆していて「この店も畳むことにしたよ。もっと都心に小さな店を開いて厳選したいい物だけを置くんだ」と言います。それは困ったなと内心思いながら欲しいものを選んで並べていると「もう商品を減らすことにしたから」と思い切りよく一山いくら譲ってくれました。ところが、その半年後の訪問ではすっかり元気を回復して、店を畳むことも商品を減らすことも話はそれっきり。あのまま落ち込んで一山いくらのままで良かったのにと、冗談半分で思ったこともありました。
そう言えば、最初の頃に送ってもらった商品が一つ割れていたこと一度あり、次からは注意深く梱包して欲しいとメールをしたのを話の流れで思い出し「あの時あんなこと言ってきやがって」とニヤニヤしながら、それでも悔しそうに言われたことがありました。あまり感情を出さないスウェーデン人が多い中、この人間臭さはデンマーク人ならではなのかも知れません。
クリスマスはどうしているの、と尋ねたら「元妻の家に呼ばれて、再婚相手の家族と過ごすんだ。バカみたいだろ?」とやっぱりニヤニヤ。嫌なら行かなくてもいいのに、人がいいのか、本当は楽しんでいるのか。
2か月連続だったか、3か月連続だったか…とにかく休みなしに働いて、1ヶ月丸々休むペースで1年を過ごし、ある夏に届いた滞在先のイタリアからの絵葉書を読み、随分と楽しんでいるなあ、そんな暮らしもいいかもなと思ったものです。
亡くなる数年前に脚がひどく痛む、と病院に行くようになり、しばらくすると他のショップのオーナーさん数人から「彼は病気らしい」と噂が耳に入るようになりました。すっかり痩せてしまった彼がやっぱりタバコを吸っていたので「やめた方がいいよ」と注意すると「医者も元カノもそういうんだけどね、やめられないんだ」と言い訳するので、本当にバカなデンマーク人なんだからと呆れました。
2016年の春に行くと、ガールフレンドが出て行ってから一人暮らしの彼が、箱から取り出してチマチマと飾ったであろう可愛らしいイースター飾りがあちこちにありました。本人は「気が付いてくれてありがとう。見てくれた人が現れたから片付けられるよ」と嬉しそうにしていましたが、こんなに明るく話好きな彼が一人で飾って眺めているのかと思うと、何だか切ない気持ちになりました。
2016年の秋、買い付け1ヶ月くらい前にメールをすると「会えるかどうか分からないから直前にまた連絡して」と返事があったので、スウェーデンで改めて連絡したのですが返事がありません。気になって他のショップのオーナーさんに知らないか尋ねると「いつもこの店の前をガールフレンドの運転する車で病院に行き来していたんだけど最近見ないな。入院したんじゃないかな」。
再度「入院したと聞きましたが、どうしていますか」とメールすると、しばらくして返信がありました。メールの書き手はガールフレンド、というか元ガールフレンド。「その通り、彼は入院しました。でも私が代わりにお店を開けてくれと頼まれました」「それには及びません。今回は会えませんが、次回お会いしましょう。回復を祈っています」と返し、スウェーデンを出てフィンランドに行ったのが10月3日。フィンランドでの買い付けを終えて、日本に到着したのが10月10日。イェンスの訃報を聞いたのが、その数日後。亡くなったのは私が日本に着いた翌日の10月11日だったそうです。
なんなんだ、亡くなる直前まで私のこと気遣わなくていいのに。そんな人だから元妻はクリスマスに呼ぶし、元カノが病院に送り迎えして入院に付き添うんだよ。本当にバカなデンマーク人。
こんな事なら、ビンテージの話をもっとちゃんと聞いておけばよかった。あのフタが落ちて割れちゃうキャニスターってどれなんだろう。もし買い付けて割れてしまったら困るじゃないか。まったく私もバカだったなあ。
かつてのイェンスのショップに行くと、彼の残した品物がほんの少しあるだけで、床も壁もインテリアも、内装をまるっきり変えて絵画を主に扱っているギャラリーへと変わっていました。なんとなく思いを引きづっていたのですが、イェンスの面影が全く無くなったお店を見て、不思議とスッキリとした気持ちになりました。もう本当にいなくなっちゃったんだなあと実感できたからかも知れません。
ミタ