フィンランドのアラビアを代表する製品の一つといえば、このパラティッシ(Paratiisi)でしょう。
豊かな色彩、大胆な構図、想像力溢れる叙情的なモチーフ。
デザインは1950年代から60年代のフィンランドデザインの黄金時代を担ったデザイナーの一人、Birger Kaipiainen(ビルゲル・カイピアイネン/ビルイェル・カイピアイネン 1915-1988)です。
主にアート作品を手がけていたカイピアイネンに対し、アラビアの社長の娘Birgittaがテーブルウェアを作ってくれないかと要望し続けていました。1969年、ついに夢が叶う時が来ました。カイピアイネンがようやく腰を上げ、パラティッシが誕生したのです。
パラティッシとはフィンランド語で楽園のこと。旧約聖書の「楽園追放」の舞台となったアダムとイブが住んでいた楽園を意味しています。
実は、パラティッシには、黄色の「Aaatami(フィンランド語でアダム)」、白の「Eeva(フィンランド語でイブ)」もシリーズに含まれていました。この二つがあるとシリーズの意味がはっきりとしますね。
パラティッシにはカイピアイネンがアート作品で好んで使ったモチーフが使われています。
一つは瑞々しいフルーツ。
このパラティッシを髣髴とさせる大皿は1965年の作品です。
カイピアイネンはポリオで入院していた20代のときに、友人がお見舞いに持ってきたフルーツの感動を生涯忘れる事が出来ず、繰り返し描いています。
そして、ビオラの花。
これは1967年にモントリオール世界博のフィンランドパビリオンに展示されたOrvokkimeri(ビオラの海)の作品の一部とカイピアイネンです(実物はこれと同じ大きさのパネルを9枚合わせ、45.5m×9mの大作となっている)。
この作品にはその前年に亡くなった妻との思い出が込められているそうです。
このように個人的な体験を突き詰め、作品に昇華させていく様子には、デザイナーというよりもアーティストであったカイピアイネンの在りようを感じます。
1969年の夏至祭の日、それはパラティッシが世に出る前日のこと、ベルギー国王ボードゥアン1世夫妻がアラビアのアトリエを訪問されました。そしてファビオラ王妃がパラティッシシリーズに一目惚れ。自宅用にお買い求めになったというエピソードがあります。
ファビオラ王妃はスペイン出身。パラティッシの南国的な装飾に故郷を見たのかも知れません。
パラティッシはフィンランドでも人気を博しますが、1974年にオイルショックが引き金を引き生産中止となってしまいます。ところが、再生産を望む声が大きく、1988年に素材の変更及び、フォルムを楕円から円に変更、バックスタンプの変更でコストダウンをはかり再生産が始まりました。
バックスタンプはこのように、当初のカラーから現在はモノトーンへ変更されています。
初期のバックスタンプは魅力的ですね。
カイピアイネンは優れた美的センスの持ち主でした。感性にはオリジナリティがあり、誰の真似でも、時代の流行に乗ってもいませんでした。そのため、彼の作ったパラティッシは時代を超え、45年近く経った現在でも全く古臭さを感じません。
そのセンスを示す一つが文中にご紹介した、作品「ビオラの海」の前に座る彼の服装ではないでしょうか。同じ写真の彼だけをトリミングしました。21世紀の今、このままの姿で街を歩いていても違和感が無いと思いませんか。
こちらはカイピアイネンの若かりし頃の彫像。
ところで、カイピアイネンのアラビア所属期間は1937年から1988年の亡くなる年までです。カイピアイネンは1981年に定年を迎えますが、その後もほぼ毎日アラビアに通い、作品を作り続けていました。
1988年7月18日の亡くなったその日も、アラビアで仕事を済ませた後だったそうです。奇しくもパラティッシが14年ぶりに再生産された年でした。
パラティッシは当初はこんなに長く生産する予定ではなかったそうです。生涯現役のアーティストとして自分の信じる美を追い求めたカイピアイネンの作品は、その独自性ゆえに時代によっては反発もありましたが、かえって時代に左右されない普遍性から、今はフィンランドの多くの家庭で使われているといわれるほどになっています。
ミタ
追記:
カイピアイネンの座っている椅子の後ろに杖が横たわれている事に気が付きましたか?彼は若いときに患ったポリオが原因で生涯杖を手放すことが出来ませんでした。
この1950年代のロールストランド時代に撮られた写真でも手に杖を持っています(右から2人目)。ちなみに手前で床に座ってる女性は、マリアンヌ・ウエストマンです。
カイピアイネンのアート作品にご興味がある方は、カイピアイネン展のレポートを是非ご覧下さい。
→魅惑のビルゲル・カイピアイネン(Birger Kaipiainen)展