イギリスとオリンピックとストックホルムとマラソン

こんにちは。
先日オリンピックにちなんでイギリスの製品をご紹介していく、なんて書きましたが、いきなり1回で終わりそうです。イギリスの製品はまだあるのですが、先にご紹介したいものが有りすぎて。

こちらは、ドイツのメリタ製のコーヒーセットです。メリタといえば今はコーヒー用品で有名ですが、1982年までは食器も生産していました(現在は陶器部門はFriesland Porcelainとして別会社)。

製造は1960年代、あるいは1970年代。手書き風の青の真ん丸い花が愛らしく、どこか和の食器を思わせる雰囲気が心に響きます。和風ですが、なぜかシリーズ名はスウェーデンの首都名と同じ「Stockholm(ストックホルム)」。ドイツ製なのに、ストックホルム。
→Melita Stockholm
製品がイギリスでないなら、せめてイギリスの味を、とヴィクトリア女王が好んだ事から名前が付けられた、ヴィクトリアサンドイッチケーキを焼いて合わせました。2枚のスポンジケーキの間にジャムを挟んだ、イギリスでは良く知られたお菓子。
ちなみに、ヴィクトリア女王の息子、エドワード7世治世時の1908年に開催されたロンドンオリンピックで、それまで大体40キロとされていたマラソンの距離が、42.195キロで初めて争われ、1924年以降これで統一されました。理由は「ウィンザー城を出発して王室貴賓席前でゴール」するため。オリンピック史を変えた王室の我がままです。
さて、ストックホルムといえば、いまから丁度100年前、1912年のストックホルムオリンピックで、マラソンに出場した日本の選手、金栗四三がスタートから54年8か月後の1967年にゴールしたエピソードがあります。

オリンピック前年の1911年(明治44年)、予選で世界記録を27分も縮める記録を出した金栗は、日本人初のオリンピック選手に選ばれます。
当時は日本からスウェーデンまで船と列車で20日間もかかった上、長い日照時間や慣れない食事にも苦労し、更にマラソン当日は迎えの車が来ず、会場まで走らざるを得なかったというコンディションで競技に参加。

©ASICS Stockholm Marathon Organisation
しかも、北欧には珍しく40度という暑さで、半数が棄権。中には亡くなった選手もいる程の過酷な条件で、金栗も途中で意識を失って倒れてしまいました。
倒れた金栗を見つけ、介抱した農家のPetré家で金栗が目を覚ましたのは翌日。失意のまま彼は帰国の途に付きました。ところが、委員会に棄権の連絡が行かなかったため、記録上「行方不明」で処理されていたのです。
帰国してからは後輩の育成に力を注ぎ、箱根駅伝の設立にも尽力した金栗に、スウェーデンオリンピック委員会から招待が届いたのは1967年。実は金栗は地元では「消えた日本人」として伝説となり、介抱したPetré家では代々語りつがれていました。
ストックホルムオリンピック開催55年を祝ったオリンピック記念式典で、金栗は用意されていたコースのゴールテープを切ります。その時会場には「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスが流れました。金栗は75歳でした。
ストックホルムオリンピック100年目の今年(2012年)7月、金栗のひ孫の蔵土義明さんが介抱した農家の子孫に当たるペトレさんの家を訪問し、100年前に金栗さんが振舞われたのと同じ、シナモンロールとジュースをご馳走されたとか。

金栗は自身の経験から高地トレーニングを導入するなど、マラソンの発展に力を注ぎ、日本マラソンの父と称されているそうです。そして昨日、女子マラソンが終了、今週末は男子マラソンが開催。
悪天候の中、女子選手は全員が無事完走しましたね。
最終日の天気が気になるところですが、男子選手たちも(せめて?)その日のうちに完走して欲しいです。
※ヘルシンキオリンピックの話も合わせてどうぞ→悲願のヘルシンキオリンピック
ミタ
サンドイッチケーキは焼きあがったものを半分に切るのではなく、同じ大きさの薄いケーキを2台焼いてから重ねて作るので簡単です。

フクヤのオリジナルコーヒー。北欧のシーンに合わせて選ぶ3つのブレンド。
hokuou-coffee.gif

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