この写真の中央にある、幻想的なティーカップはアラビア社のヒルッカ=リーサ・アホラによるデコレーションです。どこかオリエンタルな雰囲気もするこのシリーズはハンドペイントによる絵付けで、絵付け部門が廃止になった現在のアラビア社ではもう作られることの無い、手の暖かさを感じる作品。もう40年以上まえの、1960年代のものです。
ヒルッカ=リーサ・アホラと聞いても誰かよく分からなくても、バックスタンプにイニシャルのHLAがあるものを見たことがある方は「アラビアのHLAシリーズ」と聞けば、ああ、と思うかもしれません。彼女のデコレートのものはフクヤにも何回か登場しています。
かくいう私もHilkka-Lisa Aholaについて作品以上のことは何も知らないので、今回ティーカップの再入荷をきっかけに調べてみました。
で、結論から言うと、ほんの少しの発見しかありませんでした。
以前ご紹介したのタマラ・アラディンと同じように、ほとんど経歴や人となりが分からないのです。
Arabia社の公式なホームページでも、手元にある「フィンランドのアラビア窯」の展覧会カタログでも、アラビアの商品カタログでも具体的なことは何も記されていません。英語サイトや、フィンランド語、スウェーデン語サイトもあたったのですが、分かることといえば
1.1920年 フィンランド ヘルシンキ生まれ (2005年時点では、ご存命のようでした)
2.1947年から1974年までアラビア社に所属
3.代表的な作品に”Kukka(花)”シリーズがある(英語でFlowerシリーズとも言います)
の3つだけです。
その”Kukka”シリーズといえば、当時かなり人気だったらしく、この通り1960年代のアラビアのカタログ表紙になっているばかりか、巻頭の25ページを飾るのは全てアホラの作品です。
こんなに有名なのに、これだけ資料が出てこないのは当時のアートディレクターがカイ・フランクということも関係しているのかも知れません。何しろ、彼は「デザイナーの無名性」を主張していたので、彼の時代に作られたものはかなり有名なものでも作者が分からないものも多いとか。
タマラ・アラディンと同じく、顔写真1枚出てこないで終わるのかなあ・・・と昨夜パソコンの前で途方に暮れていたら、以前から時々覗いていたフィンランドの個人コレクターのサイトに偶然当たりました。
なんと、彼は最近になって、手持ちの古いカタログをスキャンしてサイトで公開していたのです。素晴らしい!
タイトルはそのものずばりの「ARABIA」という小さなカタログは1958年刊行で、中身は当時の現役デザイナーと作品を掲載したシンプルなものです(しかもなぜかスウェーデン語)。
どきどきしてページをめくると(めくる、というのも変ですが)、Aholaのページがちゃんとありました!
おお♪と思って目を走らせたのですが、書かれていることで新しい情報としては、卒業校と、11月9日生まれで偶然にもカイ・フランクと同じ誕生日ということくらい。それでも、なんと貴重な顔写真が掲載されていました。
こちらです。なんともふっくらとした、素朴で優しそうな表情です。
おそらくこのカタログが発行された1958年当時の写真ですから30代の終わりの頃なのでしょう。
私は、HLAシリーズのぼってりとした、柔らかな雰囲気が好きなのですが、なるほどなあこういう人が作っているのかと、写真を見てすっくり胸に入りこみました。
ところで、このティーカップのフォルムは、1960年代にアラビアで活躍したUlla Procope(ウッラ・プロコペ)の手によるものです(添えたGA3 ティーポットもプロコペの作品)。
1968年に40代の若さで亡くなったプロコペはその短い生涯で多くの賞を受け大変活躍した一人なのですが、それでも残っている写真は非常に少なく、あっても、集団の中の一人といった風で、とても小さいのです。
ところが、こちらにその写真が掲載されていました。
今まで見たことの無い写真で、なによりも一人で大きく写っているところが貴重です。
これもおそらく、このカタログのために撮られたものなのでしょう。1958年といえば1921年生まれの彼女も同じく30代の終わり。まさかこれから僅か10年後に亡くなるとは、誰も想像していなかったのでしょうね。
横顔ですが、なかなかの美人さんですね。美人薄命とはこの事かもしれません。
さて、このティーカップ、多分来週アップします。後ろにある同じくProcopeのフォルムによるMeriティーカップも一緒にアップ予定。
どうぞ、お楽しみに。
ミタ
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ウラ・プロコペのフルネームって「Ulrika Elenora Matilda Procope」って言うんですって!ながっ!