そうか、あのマンネルヘイムか

趣のあるデコレーションのゲフレ製リッレモールのコーヒーカップ。

製造年は1951年から64年。50年代と思えない程クラッシックなデコレーションがかえって時代を経ても古臭さを感じさせません。

リッレモールについてはフクヤ通信でも何度か取り上げたことがあります。例えば、2012年の「スウェーデンの向日葵カップ」。ここには、リッレモールはリッレモール・マンネルヘイムがデザインしたにも関わらず、当時無名の女性デザイナーでは売れないだろうと、同社のスターデザイナー、アーチュール・パーシーの名で売り出した、という裏話を書いています。リッレモールが、実は私だったと告白したのは随分後のことだったので、このことはかなり長く知られていませんでした。パーシーが亡くなったのは1976年だったので遠慮していたのかも知れません。

その話を書いてから7年経っているので、もう一度取り上げようとリッレモールについて調べたところ、7年前には無かった情報が出てきました。

フルネームはIngeborg Aina Sophie Constance ”Lillemor” Klingspor(長!)。陶芸家であり、伯爵夫人。フィンランドの大統領も務めたグスタフ・マンネルヘイムの姪。

マンネルヘイム!

それほどフィンランドの歴史に詳しくない私でも知っている、フィンランド独立の英雄!現代美術館(キアズマ)の前で馬に乗っている人!

キアズマには何度も行っているので探したのですが、マンネルヘイム像の写真が一枚もなかったです。まあ、歴史的人物の記念像に興味がないというのもあるのですが、最近は個人情報が厳しく、街中の写真が撮りにくくなったのですよね。写っている人の顔にぼかしかけるとか、アイコンで隠すとか、やりたくないし。

リッレモールは1927年生まれ。1945から49年はストックホルムの 美術学校で、1950から52年はパリの 美術学校で教育を受けました。デザイナーとしては、ゲフレの他に、ロールストランドやアラビアでも働いていました。1957年に Klingspor 伯爵と結婚し、伯爵夫人になりました。元々名家の出身なので縁談としては不思議ではないと思います。スウェーデンの貴族制度は廃止されましたが、子孫は今も大企業の所有者とか。

ところで、マンネルヘイムなんて特徴ある名前だからピンと来てもいいものですが、フィンランドでなくスウェーデンだったこと(マンネルヘイムはスウェーデン系)もありますが、そんな名家の娘が陶芸家として普通の企業で働いていたとは思わなかったのもあります。現代ならともかく、50年代に。

北欧が現代のように女性も働くのが当然となったのは60年代になってから。まあ、スウェーデンは王子であるシグヴァルド・ベルナドッテ(1907 – 2002)が美術学校で学んでデザイナーとして活躍した国。デザインは趣味のいい仕事として考えられていたのかも知れません。

知らんけど。

ミタ

ところで、ノルウェーのデザイナー、トゥリ・グラムスタッド・オリヴェールについて書かれた新しい記事で、当時(60年代)はフォルムデザインは男性、デコレートデザインは女性という慣習があった、と書かれていて、これについていつか取り上げたいと思っています。いつになるか分からないけれど。

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