今日は先月開催したしずく堂さんのキャットドームのワークショップについて書こうと思っていたのですが、朝一番に素晴らしいニュースが入ってきたので急遽その話にします。しずく堂さんゴメン。
なんと、フィッギョで活躍していたTuri Gramstad Oliver (トゥリ・グラムスタッド・オリヴェール)氏が聖オーラヴ勲章を授与されることになったとか!
聖オーラヴ勲章はノルウェーの国と人のために功績のあったノルウェー人に贈られる、日本で言う褒章のようなものです(ありがとうWikipedia!)。
トゥリ・グラムスタッド・オリヴェールと聞いても、ピンとこない人もいるかも知れません。当店にあるトゥリのデザインを集めてみました(これでも全部ではないですが)。「見たことある!」と思いませんか?
トゥリ・グラムスタッド・オリヴェールは1938年生まれ。美術学校を卒業した1960年にフィッギョに採用されました。当店で扱っているヴィンテージのデザイナーたちが1910年代や1920年代の生まれであることに比べると、一回り若いデザイナーです。また、ヴィンテージの中では、ご存命の数少ないデザイナーの一人。
トゥリの所属していたフィッギョは1941年ノルウェーで創業。スウェーデンのロールストランドが1726年、グスタフスベリが1825年創業。デンマークのロイヤルコペンハーゲンが1775年創業。フィンランドのアラビアが1873年に創業、という他の北欧ブランドに比べると、これも数世紀若いブランドです。
フィッギョは当初アラビアからデザイナーを招き、手彩色による製品を作っていました。けれども1950年代から積極的にシルクスクリーンプリントを導入しました(例えばアラビアがシルクスクリーンプリントになるのは1960年代になってから)。
シルクスクリーンプリントの利点としては、生産スピードの速さ、コストの安さ(絵付師の人件費だってかかりませんものね)、版を重ねる事で複雑な色の表現が出来る、鮮やかな発色、があげられます。
更に若いデザイナーを登用しました。その一人がトゥリです。トゥリはフィッギョにとって美術教育をうけた最初のデザイナーでした。トゥリは美術学校在学中の1956年から1958年まで、スタヴァンゲルフリントで研修をし、当時スタヴァンゲルフリントで活躍していたInger Waage(インゲル・ヴォーゲ)の影響を受けています(インゲル・ヴォーゲについてはいつか書くかも、書かないかも)。
ちなみに、 スタヴァンゲルフリントは1946年創業し、1968年フィッギョと合併したノルウェーのスタヴァンゲルにあったメーカー。
ノルウェーは現在も人口520万人ほどの小国ですが、60年代は400万人にも満たない人口でした。そのため国内消費だけでは経済は成り立たず、実際1963年の記録では、スタヴァンゲルフリントの製品の50%は輸出されていました。輸出先はアメリカ、ヨーロッパ、中東、そしてなんとアフリカにも。
1965年にスタヴァンゲルフリントのマネージャーKåre Berven Fjeldsaa (のちにフィッギョでもマネージャーに) は競争力を高めるため
「私たちは自分たち独特の個性で競争しなければいけない。
ノルウェーのデザインを売ろう!」
と宣言。
イギリスのデザイナーたちが抽象的なパターンや、素敵なフランスの光景を好んだ一方で、ノルウェーは家庭的で素朴なデザインを「民族的」に描く方向へと向かったのです。
そんな方針の中でトゥリの描いた民族衣装を着た人々や、ノルウェーの光景や伝承をテーマに描いた作品が次々に、鮮やかなシルクスクリーンプリントで作られました。これらの作品は海外でも人気を博し、残念なことですが、日本ではコピー品も作られるほどに(フィッギョは日本のコピー品にはかなり悩まされたそう)。
例えば北欧の英雄伝説をモチーフにしたSaga(サガ/サーガ)。
例えば、民族衣装を着た人々を描いたFolklore(フォルクローレ/民話)シリーズ。枚挙にいとまがないのでここで留めておきます。
トゥリは1980年にフィッギョを退職し、今もアーティストとして活躍しています。2015年には地元サンドネスのマンホールデザインを手がけたのが話題になりました。
ノルウェーではレトロブームも相まって人気再燃し、回顧展も催されたりと良く知られた人ですが、日本ではイマイチかも。もっと多くの人に知ってもらいたいデザイナーの一人です。
私も好きなデザイナーで、このカップ&ソーサーは宝物のひとつ。
トゥリさんには、例えばカフェでトゥリさんがお茶を飲んでいるところを柱の陰からでもいいから、お目にかかるのが夢…。
という、妄想は置いておいて、トゥリさん、本当におめでとうございます!
あと、数年前に調べたものの、お蔵入りになりそうだった、フィッギョとトゥリの話を披露する機会があって良かったですー。
ミタ