受け継がれる美

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おはようございます。
写真の赤い柄がユニークなポットとプレートは、1951年のスウェーデンGustavsberg社のMinetteシリーズです。
デコレートデザインはKarin Björquist(カーリン・ビョークイスト 1927-)。美しい藍色の「インディゴ」シリーズで知られる彼女のGustavsbergにおける最初の作品の一つです。

大変リズミカルでモダンな柄ですが、フタのつまみも持ち手も植物を思わせるフォルムは、エレガントで装飾的。むしろクラシックな趣があります。

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それもそのはずで、このフォルムはカーリンによるものではなく、1934年にWilhelm Kåge(ヴィルヘルム.コーゲ 1889-1960)がデザインしたもの。デザインされてから6年後の1940年から1952年まで、これに緑の装飾がされたものが、Grönt Bandとして製品化されました。つまり、最初にデザインされていたのは、アールデコの終わりの時代なのです。
ヴィルヘルム.コーゲは1889年生まれ。そもそもは画家として主にポスターデザインで名をはせていました。
1917年にスウェーデンは「Hemutställningen 1917」という住宅博を開催しました。そのモットーは”一般の人に手ごろな価格で有名なデザイナーによる美しい日用品を提供する”ということ。
その動きを受けて1917年、若きコーゲはグスタフスベリ社に呼ばれて入社。その後、1948年までの30年以上をアートディレクターとして、グスタフスベリおよびスウェーデンの日用品のデザインの発展に尽くしました。

この写真は1945年に撮られたもので、左がコーゲ、右に立つのが若い頃のスティグ・リンドベリです。

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今はグスタフスベリを代表するデザイナーの一人であるリンドベリは、1937年に同社に入社。そこでコーゲの元に弟子入りし、その才能を伸ばします。
一方カーリン・ビヨルクヴィストがグスタフスベリ社に入ったのは、アートスクールを卒業した1950年。そのとき既にコーゲはアートディレクターの座をスティグ・リンドベリに譲って、もっと自由な立場でグスタフスベリに所属していました。
ですので、このコーゲの古い作品に新たな装飾を施すように指示したのは、当時のアートディレクターのリンドベリだった可能性があります。
もしそうならば、リンドベリが何を思って新人のビヨルクヴィストに、師匠であるコーゲの作品の絵付けをさせたのでしょうか。ちょっとお手並み拝見、といった感じだったのか、あるいは学生時代から才能を発揮していた彼女に、いささか古い感じになったデザインに新しい側面を発見して欲しかったのかもしれません。
そして、ビヨルクヴィストがその期待に見事に応えたのではないでしょうか。クラシックなフォルムの雰囲気を壊すことなく、モダンな味付けを施し、かつ彼女の個性が出た独特なパターンは、どこにも無いユニークでアーティスティックな雰囲気をかもし出しています。
彼女は入社してすぐに数々の賞を受賞するなど、素晴らしい活躍をしました。そして1981年にグスタフスベリのアートディレクターに就任。1990年代にノーベル賞晩餐会のための食器、ノーベルシリーズをデザインしたのもビヨルクヴィストです。
1994年にグスタフスベリを引退したビヨルクヴィストですが、今ではヴィルヘルム・コーゲ、スティグ・リンドベリと共に、20世紀スウェーデンを代表するデザイナーとして数えられています。
さまざまなアート作品でも知られるビヨルクヴィスト。けれども常に”日用品に美を”のモットーの下、美しい日用品の製作に力を注いでいたそうです。それはコーゲに始まり、リンドベリへと引き継がれていたポリシー。脈々と師匠から弟子へと流れる確固とした美意識なのですね。
こちらのポットとプレートは再来週のアップを目標に、頑張ってます!(目標ね・・・)

ケーキはお客さま用に焼いたものですが、家人が添える生クリームを泡立て過ぎて、バターにしていました。生クリームからバターが出来るのは知っていましたが、初めて見てちょっと感動しました。

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