お客さまのお写真:ウルスラのモーニングカップ

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こんにちは。今日は雨の東京です。

そんな暗い天気を跳ね除けるような嬉しいお写真が届きました。大阪の”とろるん”さまから、先日アップしたグスタフスベリのモーニングカップと、すでにお持ちになっていた”兄弟たち”です(フクヤでお求めになったのは、手前の赤い装飾のもの)。

デザインは、1939年から51年までグスタフスベリに所属していたUrsula Printz。ウルスラ・プリンツ、と読むのでしょうか。ドイツ名の読み方が良く分かりません。ウルスラのデコレーションについて、1940年代の終わりにカーリン・ビヨルクヴィストが「ウルスラは筆使いの名人で、オリジナルのスタイルがあった」と語っていますが、カップ一つ一つを見ても、その筆さばきが伝わってくるようです(実際に絵付けをしたのは絵付師かも知れませんが)。

以前、森さんの著書を紹介した時に少し触れましたが、ウルスラはドイツ人です。1940年代のグスタフスベリの工房には様々な国籍の人が所属していましたが、ウルスラがスウェーデンに来たのは、自ら望んでのことではありませんでした。

ウルスラの父親はドイツ人でしたが、母親はユダヤ系のドイツ人。一家は戦争がきっかけで、恐らく迫害を恐れ、難民としてスウェーデンへと移住しました。

ウルスラは17歳。ヴィルヘルム・コーゲがアートディレクターを務めるグスタフスベリに、当時彼が熱中していたファイアンス焼きの絵付師として入ります。コーゲは彼女を絵付師とデザイナーのどちらが向いているのかテストしました。

そして、古いグスタフスベリのモーニングカップのモデルに彼女が描いた、重厚で外国風な蔓の巻きひげのような花のデコレーションのシリーズは人気を博します。

そのシリーズが今回”とろるん”さまが集められている、カップ&ソーサーです。

1940年代と大変に古く、大量生産の出来ない手彩色のため、見つかりにくいシリーズです。今回入荷した赤いカップ&ソーサーは、買い付けた先のディーラーさんが1年かけて、ソーサーとカップを別々に揃えたもの。

とろるんさまも、3つまで揃えて、これ以上は無理かなと諦めていたそうです。希少なシリーズですから、コレクションされている方のお手元に渡り、半世紀以上の時を経て兄弟たちに会えて本当に良かったです。

とろるんさま、本当にありがとうございました。私も嬉しかったです。

ウルスラは51年にグスタフスベリを辞め、デンマークで働き、そこで出会ったデンマーク人の陶芸家と結婚します。1954年に独立し、夫と共にその工房で作品を作りますが、その後の活躍はあまり知られていません。

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