Teneraの美しいポット

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デンマークから、Alminia(アルミニア)の美しいポットが入荷しました。北欧のポットにしては小さめで、満水で900ccは日本の家庭でも使いやすいのではないでしょうか。
アルミニアは1863年創業の日用品のメーカーでしたが、陶器部門を作るにあたって1882年にロイヤル・コペンハーゲンを買収しました(当時はアルミニアの方が大企業だったのです)。その後1969年にロゴをロイヤル・コペンハーゲンに統一するまではアルミニアのロゴでも製品が作られていました。
1958年に新しいラインの物を作ろうと、当時の主任デザイナーNils Thorssonのもとに北欧各国から6人の女性デザイナーが集められ、Tenera(テネラ)シリーズを作り出しました。テネラとは、英語のテンダー(tender=柔らかい、優しい)の原型に当たるラテン語の女性形です。優しく柔らかい女性らしいラインを狙ったのでしょうか。
実際、どのシリーズも女性らしい色彩の明るさと、若いデザイナーらしい生き生きとした躍動感があり、それまでのクラシックなラインとは一線を画している(と思う)のです。
→それ以外のテネラシリーズはこちら
このティーポットと後ろの花瓶はどちらも同じ作者、6人の女性のうちの1人、デンマーク人のBerte Jessenによるものです。Jessenは1937年生まれ、1958年にテネラのデザイナーに選ばれたときはデンマークの美術学校を出たばかりの21歳でした。
(ただ、彼女の経歴を見ると1958年から1962年までデンマークのBornholmで陶芸家として過ごし、1962年から1965年までロイヤルコペンハーゲン(アルミニアのことでしょう)でデザイナーとあるので、最初はフリーデザイナーとして参加していたのかも知れません)
このポットは初めて見ましたが、モスグリーンとラベンダー色の組み合わせがすばらしく、洗練された中にモダンな雰囲気があります。大胆な筆使いと細いラインで表現した繊細な部分の組み合わせのコントラストも、Jessenの感性が光っています。
Teneraシリーズは各国で賞を受け、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館ではミュージアムコレクションとなっています。当時人気の有ったこのシリーズですが、1960年代に終了しました。この女性チームたちの、その後の事が気になりました。
今回はBerte Jessenの作品が手元にあったので、彼女について調べると、結婚後の名前Berta Koehleとして今も活躍しているようです。結婚がきっかけなのか、良く分からないのですが、1970年代からはドイツに移住し、活動拠点はドイツに移っていました。
ドイツのGemeinde Bodelshausen(美術館?)のサイトに彼女の最近の絵画作品が出ていました。すでに70代のBerteですが色彩の美しさは健在。生き生きとした年齢を感じさせない表現で、抽象画ながらどこか鳥や花を思わせる絵はAluminiaの頃の作品も彷彿とさせます。
BERTE KOEHLE
この作品を見る限りでは現在の彼女が幸福で満足しているのではないかと想像できますね。姓が変わっていないということは結婚生活も続いているのでしょう。余計なお世話ですが、若いときに注目を浴びた人が今も活躍していると知ると、良かったなあと思ってしまいます。
実際のところは、外国に住むということは人それぞれの異なった大変さが有り、言葉の違う国で認められるというのは、それなりの苦労が有ったのかも知れませんが。とはいえ、デンマークからドイツでは言葉の違いという点に絞れば、あまり苦労は無かったのではないでしょうか。少なくとも日本人がドイツに住む事に比べれば。
最初に英語のテンダーの原型はラテン語のテネラ、と書きましたがヨーロッパ言語はこのように起源が同じのものが多く、国が違っても言葉が似ていることが良く有ります。
私事で申し訳が無いのですが、アイルランドで語学学校に行っていたことがあります。私の配されたクラスは日本人はおろかアジア人もいなく、私以外は全員ヨーロッパ人でした。
授業で先生が「殺人を”homicide”というけれど、それでは母親殺しをなんて言うか分かりますか」と質問し、スペイン人が「”matricide”じゃないかな?スペインでも同じような言葉があります」と即答されると、こちらは手にした辞書をため息と共に置かざるを得なくなります。
授業についていけないのは、言葉だけではありませんでした。音声で流された短い文章を元に質疑応答をするときは、内容を聞きながら鍵となる言葉をメモするのですが、他のクラスメイトの書くスピードに圧倒されました。普段からアルファベットを書いている人たちに比べると私の書く速度があまりにも遅く、かつ不正確だったのです(聞き取りも下手で)。
「慣れていないんだから仕方ないよ」と慰められるも、こんな想像もしていなかった事で授業についていけないのは困惑しました。背に腹は代えられず聞き取った音を平仮名(しかも縦書き、そのほうが早いから)で書き取ったのは、今となっては笑い話ですが。
他にもディスカッションのテーマが”移民”や”物乞い”のときは、日本人にとって遠い話題であり、また私の無知のためにろくな発言できず、教室で小さくなったものです。もともと語学に自信が有ったわけではないので、言葉が出来ないことは諦めも付くのですが、自分があまりにも世情に疎いのは恥ずかしい思いでした。
でも、この時にヨーロッパの人はこんなところから発想するんだ、こんな感じ方をするのだ、と経験したことは、今の仕事に少しは役立っているかな、と自分を慰めたりもしています。
と、何だかよく分からない終わり方ですが、このティーポット、今月中にはアップできると思います。
ミタ

なんだか、一つ思い出すと、怒涛の様に色々な出来事が蘇ってきましたよ。

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