お母さんと太陽



こんにちは。明日の日曜日は母の日、お母さんに感謝する日ですね。
私も母には感謝することは色々あるのですが、特にありがたかったな、と思うのは高校生のときのこと。うっかり者の私は良く家に教材を忘れたのですが、そんな時、母に電話すると学校まで持ってきてくれました。
簡単に持って来てくれた、なんて書きましたが私の高校は自宅からバス15分、電車を2台乗り継ぎ1時間かけ、更に駅から徒歩15分、片道1時間半のところにあったのです。校門で忘れ物を受け取ったら、見送りもせず「バイバイ」と教室に戻ったものですが、今思うと、あれはすごい。
学校の授業で、石垣りん氏の「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」という詩を勉強したとき初めて「無償の愛」という言葉を教わりましたが、母のことを思うと、いつもこの言葉が思い浮かびます。(もっとも、今その詩を読み返すと詩のテーマは無償の愛より、むしろ女性の社会への関わりを励ます内容だと気が付きました。)
さて、こちらの写真はArabiaのコーヒーカップAurinko。フィンランド語で「太陽」という意味の可愛らしいカップです。女性デザイナー、エステリ・トムラ作。製造は1973年から1974年という大変短い間でしたので、入手がなかなか困難な商品です。
ところで、日本では太陽の色といえば赤ですが、世界中で見るとむしろ黄色とするところのほうが多いってご存知でしたか?私は昔、イギリスで装飾画のワークショップに参加したとき、先生に太陽を黄色で塗られてしまい、「これじゃ月じゃないの」と驚いた事があります。
そして、こちらのカップも太陽のイメージが、カップやソーサーにおおらかに描かれた黄色い大きな花で表されています。シンプルな表現は、かえって力強さを強調し、明るく輝く太陽の姿が花の中に浮かんできます。
そして黄色い色は色の中で一番明るい色。そんな黄色い太陽のように家の中をいつも明るく照らすお母さんへ、感謝の気持ちを込めて、こんなカップを贈るのもいいかも知れませんね。
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ミタ

私の前にある鍋とお釜と燃える火と
石垣りん
それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぶつぶつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意の前にはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象であって励むように

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