6月北欧ひとり旅(14)9日目最終日はフィンランドで食べたかったあれこれと

6月の北欧ひとり旅の記録はいよいよフィンランド最終日。帰国便は夜なので、朝から少しだけヘルシンキの街を歩くことにしました。

ホテルを午前中にチェックアウトし、「Radical Storage」で予約していた、ヘルシンキ中央駅近くのネパール料理店に荷物を預けます。スウェーデンでも利用したこのサービスは、ショップやレストランなどが空いているスペースで荷物を一時的に預かってくれるというもの。半日預けても1000円ほどで、事前にネット予約もできるのでとても便利です。

まず向かったのは、京都のフィンランドカフェ「ポーヨネン」さんに教えてもらったCafé Bar No 9。こちらも事前にネットで予約していました。開店と同時に入り、名物のPollo Limonelloを注文します。

公開されているレシピを見て家で作ったことはありましたが、実際に食べてみると想像していたよりずっと酸っぱい。「なるほど、こういう味だったのか」と納得しながら味わいました。

時間帯のせいか、店内は男性客が多く、どこか“おじさんに愛される店”という雰囲気。観光客向けというより、日常に溶け込んだヘルシンキのお店、という感じが心地よかったです。

食べ始めると、近くの席に日本人らしい女性が一人座りました。見ていると注文したのはサーモンスープ。確かにサーモンスープなら間違いないでしょうが、どこでも食べられるのになぜ……! もどかしくも、おせっかいな気持ちになってしまいました。

さて、Café Bar No 9 のすぐ隣には、カウニステ創設者の原田さんが手がけた和食のお店OWANがあります。

実は別の日にディナーを予約していたのですが、体調を崩してしまい、泣く泣くキャンセルしていました。この日はお昼がテイクアウトのみだったので、原田さんはいらっしゃるかな……と少しだけ覗いて声をかけると、奥から出てきてくださいました。ほんの短い挨拶でしたが、「また必ず、体調を整えて食べに来ます」と約束。

ヘルシンキで、日本語と和食が恋しくなったら、ぜひ訪れてほしいお店です。席数が少ないので予約必須。

早めの昼食のあとは、メトロに乗ってハカニエミの市場へ。

市場の魚屋にはさまざまなサーモンの加工品が並び、「世の中にはこんなにも調理法があるのか」と感心してしまいます。

7種類くらいある?
ニシンもいろいろ

一昨年、しずく堂さんと来た時にも感じましたが、マーケットはすっかりリニューアルされ、きれいでモダンな1階には、情緒ある昔の面影が残っていません。

かろうじて2階には以前の雰囲気が残っているものの、店の内容はずいぶん変わり、地元の人向けよりも観光客向けの店が増え、マリメッコのショップもなくなっていました。

ショップで手編みのソックスがぶら下がる店先を見て、「しずく堂さんがいたら、きっと楽しそうに手に取っていただろうな」と想像をしてしまいます。

1階に戻って外を見ると朝から降っていた雨はさらに強くなり、広場の名物テントカフェにも人影はありません。

ここに来た一番の目的はテントカフェでなくスープ。お腹はあまり空いていなかったけれど、これはしずく堂さんが旅の計画に入れていたものなので絶対に行こうと思っていました。ただ行程にうまく組み込めず、結局最後の日、しかもパスタとのダブルヘッダーになってしまいましたが、気合で食べました。

なんとか食べ終わって、これで約束は果たしと、市場を後にします。

雨脚はさらに強くなり、ギリギリまで街にいるつもりでしたが、これでは散策も難しいと判断し、早めに空港へ向かうことにしてヘルシンキ中央駅へ。

仕事でフィンランドを訪れることはあっても、ヘルシンキに滞在することは少なく、最近の記憶よりも、むしろ初めて来た19年前の記憶の方が鮮明です。街は変わった部分も多いけれど、中央駅の内装は、当時「なんて美しいんだろう」と感動したままの姿で迎えてくれました。

19年前にはなかった電車でヴァンター空港へ。ラウンジで数時間を過ごし、ルフトハンザでトランジットで1泊するミュンヘンへ向かいます。出発は少し遅れ、飛行機がヘルシンキを離れたのはフィンランド時間で6月11日19時50分頃でした。

しずく堂さんが予約してくれたミュンヘンのホテルは空港隣接なのに、超絶方向音痴の私はGoogleマップを見てもなぜかたどり着けず。夜も遅く、店も閉まっていて人に尋ねることもできません。10分ほどウロウロしたあと、たまたま立ち話をしていた警察官に尋ねて、ようやく分かりました。拍子抜けするほど空港出口から近い場所でした。こんな時、方向感覚のいいしずく堂さんなら、きっとすぐに見つけただろうなと苦笑。

しずく堂さんとの旅では、いつも別々にシングルルームを取っていましたが、この旅の最後の日は彼女の提案で同じ部屋にしようとツインルームを予約していました。チェックインしてホテルのWi-Fiにつなぐと、しずく堂さんの地元の友人からメッセージが届きました。

日本時間の6月12日午前1時46分、しずく堂さんこと高木静香さん逝去。

悲しみとともに、行き場のない怒りが湧き上がり、思わず「バカ!」とひとり大声を出してしまいました。「こんな夜遅くに、大きな声を出してはいけない」と我に返ったものの、使われないもう一つのベッドを見ると、再び悲しみが込み上げてきます。

しずく堂さんが亡くなったのは、ちょうど私がヘルシンキを飛び立つ直前のことでした。

しずちゃん、最後まで一緒に旅を全うしてくれたんだね。

翌朝は、本当の旅の最終日。しずく堂さんが「この日はホテルの朝食は付けないで、よっちゃんのカード使ってラウンジで食べよう!」と提案していた通り、空港ラウンジに早めに入りました。

コーヒーマシンでコーヒーを淹れると、ちゃんと添えられていたカップを使ったのに、容量を超えて注がれてドバドバとソーサーにまであふれてしまいます。

ああ、しずちゃんがいれば、「何これ」って一緒に笑ったよね。

涙が溢れて止まらなくなり、ラウンジで泣きながら食事をする、怪しい日本人になってしまいました。

しずく堂さんは生前、北欧ひとり旅を楽しんでいました。その姿を見て「羨ましいな、私もそんな旅をしてみたい。いや、むしろ、しずく堂さんの案内で、カワイイお店やオシャレなカフェを巡り、仕事抜きで楽しみたい」そんな夢を見ていました。

それが、しずく堂さんが病にかかったことで、「いま一緒に行かなくては」という思いに変わり、行動に移すことができました。そして今年は結果的に、やってみたいなと思っていた、ひとり旅になりました。こんなことがなければ、一人で旅に出ることはなかったかもしれない。

本当は、こんな形で叶うはずではなかったのだけれど、この旅は彼女がくれた最後の贈り物だったのではないか、という気もします。

これから先、私はまた北欧に行くのでしょう。しずく堂さんと一緒に歩いた街、入った店、交わした何気ない会話。何を見ても彼女を思い出してしまうはずです。けれど、再びその思い出を辿ることが、なんとなく楽しみでもあります。

死んだらハトになりたいと言ってたけどカモメでもOKかな

これで、6月の北欧ひとり旅のブログを終了します。

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